久しぶりのブログ更新は単純明快に。
「pixiv女子プロ野球」はその名の示す通りプロ野球を扱う企画ですが、そのプロ野球において背番号というものは様々な意味を持つアイテムとなります。
よく言われるのは、NPBでは松坂大輔・田中将大・前田健太らが背負い「エースナンバー」の意味合いが強い18や、松井秀喜をその嚆矢としてT-岡田・村上宗隆らスラッガーを意識させる55、イチローから始まり「俊足巧打の期待の外野手」の代名詞となった51など。
当然その流れはPGBにも波及していますし、筆者も多分に影響を受けているので、今回は2024年度シーズンまでに選手登録されていた全選手を覚えている分開陳していきます。中には理由が特にないものもありますが、それを含めて歴史の一部として。
選手の並び順は、PGB wikiにおけるPL別選手逆引き一覧の掲載順とします。
野村友梨奈
- 27(2014~2015)
- 47(2016~)
野村はプロ入り当初のポジションが投手で、本格派左腕として鳴らしていました*1。横浜アクアマリンズに指名され入団するにあたって、筆者が当時27が一番好きな数字だったので既に着用していた真中千夏から譲ってもらったのがプロ入り当初の着用背番号となります。ただ横浜には都合2年しか在籍せず、27を譲ってもらった真中はその後27に戻さなかったので、その辺りの罪悪感はまだあります。
2016年に移籍した福岡では当時二神智が27を着用しており、空き番号を選択する形で47へ変更しました。47はNPBにおいて工藤公康・杉内俊哉ら「左腕エース」にあてがわれることの多い番号で、筆者も後々草野球チームへ所属する際に選択するくらい今では筆者自身が一番好きな番号ですが、福岡移籍時に野手コンバートは決まっていたのでこれは数字ありきです。しかし選手保有数が25人前後のPGBにおいて47を選択する選手が少なく*2、着用例が少ないのを差し引いても「PGBの47」=「野村友梨奈」の構図は出来ているかも知れないですね。
水野遥奈
- 19(2019~)
水野の19に関しては、分かりやすく横浜DeNA・山崎康晃リスペクトです。能力やフォームのモデルが山﨑だし、なんなら大学時代のユニフォームも多少横浜DeNAのデザインを意識して描きました。本来はPGBでも横浜アクアマリンズに指名されれば収まりがよかったんですけど縁があったのは大阪ナイトブレイカーズで、在籍6年で通算4位タイの58セーブを積み上げ2度の日本一に貢献したことを思えば、ある程度でいいので丁重に扱って欲しい番号だとは個人的に思っています。
大野クリスティーナ
- 41(2020~2022)
- 12(2023~)
大野は名古屋Cキャッツ時代に41、東京フレイズでは12を着用していますが、これに関してはそんなに深い意味を持ちません。名古屋でプロ入りするにあたって当初希望したのは15でしたが、ドラフト同期で大野より指名順位が上だった久遠令乃に譲る形で41に収まりました。
東京移籍時に12を選択し直しましたが、これは「キリスト教圏では12が特別な数字だから」以外の意味合いはほぼないです。まあ大野に関しては、筆者が生かせていないだけで背番号に頼らずとも個性はなんぼでもあるキャラクターなので…………。
上野まなみ
- 57(2020~)
上野は一貫して57を着用していますが、これもそんなに深い理由は無くて、「ドラフト下位の捕手にあてがわれるのはだいたいこんな番号だろう」くらい。上野のプロ入り時までは、だいたい筆者はこんな思考回路で背番号を選択しています。強いて言えば東京ヤクルトの古賀優大が57を着用しているので、本当にそれくらい。そんなわけでこだわりがないので、そろそろ「変え時かな」って気はしています。
永井愛梨
- 15(2022~)
永井は一応ドラフト2位でのプロ入りなので、空き番号の中で投手が背負うことの多い10番台から、個人的に「期待されているな」と思わせられるだろう番号を選択しました。本来は広島東洋・大瀬良大地リスペクトで14を選択したかったのですが、既に浜野昴が着用していたので断念しました。
澤野優希
- 17(2022~)
創作上の理由は「野球を始めて最初にもらった背番号」。その理屈だと17はそれこそLAD・大谷翔平がいるのでアレなんですが、創作上の理由の他にも「NPBで10番台を着用する野手は少ないから奇をてらって」、「若い空き番号を遊ばせるのがもったいない」もあります。3年経って、個人的には澤野の17は馴染んできたかなと。
大下彩希
- 23(2023~)
大下の23は、明確に元広島レッドリーブス・青木明日香リスペクトです。
創作で実際に触れた話ですけど、大下が2000年生まれなのに対しPGBがスタートしたのは2012年から。2013年に大下の地元・広島県に広島レッドリーブスが誕生し、青木は在籍初年度から主力選手として活躍を見せていたとなれば、もうPGBの中で完結する話が出来てしまうんですよね。「それだけ長くやったんだな」と思いますが、仮に大下が広島に移籍するとしても23は着用の難しい番号にしているので*3、とにかく大下は福岡で23を自分の番号にして欲しい。
櫻井茉央
- 27(2024~)
野村の項で「27=筆者の好きな番号」と触れましたが、櫻井に関してはそこまで考えていません。27はNPBにおいては「捕手の番号」なのと、それでも横浜DeNA(とその前身球団)では伝統的に投手が着用する番号ではあるものの*4、櫻井は特にそれとも関係ありません。ただただ空いている中で比較的若く好きな番号を選んだだけです。本当にそれだけ。
稲垣夏希
- 11(2024~)
このブログでもかつて触れましたが、稲垣はもともとサッカー少女でした。そのサッカーで稲垣が主に着用していたのが11で、サッカーでは主に左ウイングを担当。ぶっちゃけ筆者はサッカーに詳しくないのでWikipediaの受け売りなんですが、空いていたのもあるし澤野と同じ理屈で選択しました。
メタ的には本来はサッカーのエースストライカーの象徴として10が欲しかったんですが、ドラフト同期の石渡明日香が10を選択したのでズラした経緯があります。ただ広島レッドリーブスはドラフト入団選手の背番号選択時に「希望背番号が重複した場合はドラフト上位指名選手が優先」というルールで最終決定を行うので、その原則に従って石渡を10とし、稲垣が11になっています。設定自体は変えて済む話だったので、問題はなかったんですけどね。
岩本陽奈
- 47(2012~2013、2016~2018)
PGB創設初年度に横浜アクアマリンズで着用した2012年、エクスパンションで熊本シルフィードに移籍した2013年、2016年に横浜アクアマリンズへ復帰してからの2016年~2018年と、岩本は一貫して47を着用しました。
47自体は野村の項で触れた通りです。ミスマッチと言えばミスマッチですけど、今思えば最初に送り込んだ選手が(27は先述の真中が着用していたとはいえ)47を着用したのは運命だったのかも知れない。岩本と野村は中学生時代の直系の先輩後輩なのでね。
小野塚知夏
- 34(2013~2014)
- 70(2015~2016)
- 67(2017~2019)
サウスポーの小野塚は、NPBで金田正一を源流としてこれまで数多くのサウスポーが着用した34を最初に選択。しかし2014年にわずか6試合登板に留まる大炎上をかましたのでブチギレて70へ変更。この70はNPBだと「支配下登録人数(現行は最大70人)のラスト」という意味合いで奮起を促す選手に渡されることもある番号で、それを渡すことで小野塚にも期待したんですが、まあ結局70時代の小野塚は全く結果を残せませんでした。
67は熊本シルフィードに移籍してからの着用でしたが、熊本では元来の性格である奔放さに「何でもあり」の球団の雰囲気があったのか、3年間で50試合に登板し好成績を残してくれました。67も本来は期待の薄い選手に与えられるような重い番号ですが、これは単純に「6」と「7」が個人的に好きな数字なのを組み合わせただけです。それが小野塚にとっては良かったのかも知れない。
赤田みなみ
- 29(2013~2023)
着用期間にはコーチ補佐時代(2017年)と監督時代(2022年~2023年)を含みます。
赤田の29で念頭にあったのは千葉ロッテの系譜で、特に強く意識したのは村田兆治。プロ入り当時のモデルフォームを黒木知宏にし、ある程度プレースタイルも黒木に仮託した中で…………と考えると、なんで黒木を意識したのなら「54にしなかったのは何故?」とは今書いていて思います。が、指名順位こそ7位とはいえ、主力として期待していたからこその29だったのかも知れないです。
広島レッドリーブスにおいて「赤田みなみ」とは、2010年代の黄金時代を語る上では欠かせない選手です。なので広島の29は準永久欠番なんですけど、個人的に「29を受け継ぐ要件」として挙げたいのは「愚直さ」です。成績ももちろんなんですけど、あまり期待されない指名順位からエースを張るまで這い上がり、チームが白星を重ねる中で常にその先頭にいたのが赤田だったわけで、その過程を創作で(創作されないと分からないのもありますけど)見たいです。基準は今ここに示しましたので、狙っている選手のPLの方は是非。
牧田あかね
- 44(2013年)
- 63(2014年~2017年、2022年~2023年)
大阪ナイトブレイカーズでプロ入りした当初は捕手だった牧田は、「控え捕手ってだいたいこんな番号を宛がわれるよな」と思って44を選択しました。そんな深い理由はない。で、東京フレイズへ移籍した2014年にとりあえず空き番号から63を選択。これもなんとなく。
PGBへ復帰するにあたって札幌ホワイトエンジェルスに入団した2022年も、63が空いていたのでとりあえずそれを選んだ。そんな感じで、牧田の44と63はそんなに深い意味がないんです。強いて言えば「重い番号を背負うことでイキっている感を出す」くらい。
牧野佑奈
- 34(2013年~2016年)
- 13(2017年)
- 26(2018年)
プロ入り時の熊本シルフィードでは34、広島レッドリーブス移籍時に13、横浜アクアマリンズ移籍時に26をそれぞれ着用した牧野は、おおよそ「サウスポーはこの番号だろう」を踏襲したことで一貫しています。
34は小野塚の項で触れたとおりですが、13は元中日・岩瀬仁紀、26は個人的には元東京ヤクルト・久古健太郎のイメージ。ある種「なぞった」傾向のある牧野ですが、彼女は残念ながらあまり目立った成績を残したわけではないのでなんとも…………。
久慈友貴奈
- 49(2013年、2016年~2017年)
- 47(2015年)
- 0(2018年)
- 4(2019年)
2013年に横浜アクアマリンズでプロ入りした時の49は…………もう11年前の話なので覚えていないんですけど、久慈のプレースタイルがバックアップのユーティリティーだったのもあって、何か奇をてらおうとしていたんだと思います。
2014年はアマチュアチームに在籍していた久慈ですが、ここで上述の岩本とチームメイトとなります。その年のドラフトで一足先にPGBヘ戻ることになった久慈は、岩本に「プロでももう一度チームメイトになろう」との願いを込めて、岩本が横浜時代に着用していた47を復帰時に背負うことにしたんです。念願かなって翌年のドラフトで岩本が横浜へ復帰すると、久慈は47を岩本に譲って自身は49へ戻します。当時の横浜運営の方にその意向や意思を汲んでもらえたことには改めて感謝ですし、その辺りの創作もちゃんと出来たので良かったです。
その後横浜在籍最終年の2018年はよりユーティリティープレーヤーらしく0に、1年だけ東京フレイズに在籍した2019年も意識して4に。久慈の背番号変遷は結構キレイにまとめられたなと思います。
大城祐希
- 58(2013年)
- 24(2014年)
沖縄県民にとって58という数字は、1972年の日本本土復帰に伴って制定された国道58号を由来として意識されるものです。実際の例だとかりゆし58のバンド名や、沖縄県出身アーティストの楽曲のモチーフなど。
そんなわけで沖縄県出身である大城もこれは意識して58を着用したものですが、大城もうちの子の例に漏れずプロ入り当初はそんな期待していなかったし、されてもいなかったと思います。ただ結果的には2年だけの在籍とは言えしっかり二塁手のレギュラーを張ったので、2年目は軽くしようとして24を選択したんだと思います。影響があるとしたら、元オリックス・後藤光尊が一時期着用していた番号だったか。
二宮知里
- 40(2013年)
さすがに11年前に1シーズンだけ在籍していた二宮のことは、明瞭には覚えていない…………。40は「とりあえず下位指名だからその辺りでいいだろう」、としか思い出せない…………。最後がこんな尻切れトンボなのは申し訳ないですけど、でも忘れたものは思い出しようがないんです。。
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